関西アシュラムの歩み
関西地区アシュラム実行委員長 京都復興教会牧師 清水 潔
2014年10月開催の関西アシュラムは第48回を数え、2016年には第50回の記念すべき時を迎えることとなりました。振り返ってみると、1966年の第1回より今日に至る約50年間には、時代の荒波にもまれながらも、ここまで継続できましたのは、スタンレー・ジョーンズ博士のご指導と中路嶋雄初代委員長並びに委員の先生方のご努力の賜物と全国の諸先生愛兄姉のお祈りのおかげであると心より感謝申し上げます。
ジョーンズ博士、中路先生はすでに天に召されましたが、3本指を出して「イエスは主なり」「主は甦られた。実に主は甦られた」と叫ばれておられ、私たちもこれに唱和して「イエスは主なり」と叫びたいと思います。
第50回にも及ぶ関西アシュラムの中で私が特に印象深く記憶しているのは1971年11月2~4日に行われた第6回関西アシュラムです。この時87歳のスタンレー・ジョーンズ博士はメリー・ウェブスター女史と共に来日され、日本全国を精力的に巡回し、関西ではアシュラムのほか、大阪女学院、同志社女子大学、聖和女子大学、大阪伝道講演会(大韓西成教会、扇町教会の2回)、京都伝道講演会(京都教会)、神戸伝道講演会(神戸栄光教会)など連日連夜のご活躍で、いずれも満堂の出席者で各会場は溢れました。
関西アシュラムでは会場宿泊所施設シオン・ロッジに台湾長老教会の代表者5名も参加し189名が出席しました(通いも含む)。
プログラム最初の「開心の時」にはジョーンズ博士自らが指導され「問題には必ず回答があります。」「それは数学と同じで、答えのない問題はありません。」と話されると、出席者は次々と立ち上がって発表。ジョーンズ博士は腰を下ろし、時にメモを取りながら熱心に耳を傾けておられました。
最後に「充満の時」になると、それぞれに解答を与えられた方々が感謝の証しを述べられ、会場は喜びに満たされました。
ここでその時の会場のシオン・ロッジのある千里山キリスト教会礼拝堂のことをご紹介しておきます。
1969年の年末、ちょうど70年大阪万博の直前にその礼拝堂が、何者かによって爆破され、炎上するという火災事件がありました。しかし、教会では直に再建復興され、教会の底力を見せられた思いでした。お蔭で関西アシュラムも無事行われる事ができたのでしたが、玄関を入ったロビーには、奇跡的に焼け残った講壇用の大聖書がガラスケースにて展示されていました。開かれたままの聖書のページにはその時降りかかった火の粉と灰をかぶった跡が残されていました。思わず心に浮かんだのは「天地は滅びるが、わたしの言葉は決して滅びない」(マタイ24:33)との主のみ言葉でした。スタンレー・ジョーンズ博士も「震われない御国と…」の著書を残して、この2年後永遠の御国に召されておられます。
千里山教会についてもう一つ紹介させていただきたいことは、礼拝堂正面にある大きな十字架の背後に、上から吊り下げられたヤコブの梯子についてです。眠りから覚めたヤコブが「ここは何と畏れ多い場所だろう。これはまさしく神の家である。そうだ、天の門だ」(創世記28:17)と叫んでいるところです。
シオン・ロッジには関西アシュラムにおいて、その後もお世話になり、合計12回も会場となっています。その間、第8回目は「有馬陵楓閣」にハンター師(カナダ)を迎え、第11回から第14回までは「大阪淀川善隣館」で4回、第15回から22回までは再び「シオン・ロッジ」で、第23回から第29回までと第38回から第39回の8回は三田市の「千刈キャンプ場」(関西学院)、第24回の「大阪女学院」と第40回の「六甲セミナーハウス」は各1回、第30回から第37回の8回は琵琶湖が見える大津市皇子が丘荘で、第41回から第58回の今日までの8回は「母の家べテル」(神戸)で行われています。(関西アシュラム年表参照)
2014年も台風18号の直撃を受けながら時間を繰り上げて無事終えることができましたが、「皇子が丘荘」の時など、台風の真最中に行われたこともありました。しかし、今日まで継続できました主の恵みを深く感謝いたします。
講師としてご助言くださったのは次の先生方であります。
E.スタンレー・ジョーンズ博士、メリー・ウェブスター女史、中路嶋雄師(扇町)、鮫島紘一・明子師、ゴードン・ハンター師(カナダ)、中島章師(垂水)、後宮俊夫師(世光)、土山牧羔師(泉北ニュータウン)、畑野基師(自由メソ)、金元治師(大韓西成)、金徳成師(大韓大阪)、ジェームス・マシューズ師(アメリカ)、海老沢宣道師(江古田)、古川治師(香櫨園)、杉田常夫師(香里)、横山義孝師(東京新生)、辻中昭一師(夜久野)、木部安来師(伊東エクレシア)、唐渡弘師(高松田村町)、村瀬俊夫師(日本長老)、工藤弘雄・須美子師(香登)、大門義和(豊中)。
上記の先生方の中にはすでに御国に召された方もおられますが、天上にて私たちを見守り応援してくださっていることでしょう。心から感謝を申し上げます。
なおこの他に、関西アシュラムの委員としてご奉仕頂いた先生方、愛兄姉に対しお礼とともに主の限りない恵みと祝福をお祈り申し上げます。(以下、委員の方々です)
平方美代子師、渡部清数兄、一木寛子姉、戸波淳兄、川本嘉世子姉(扇町)、須藤繁兄(甲東)、杉山善弘兄(自由メソ)、額田君太兄(四条畷)、吉木裕師(千里山)、中野義郎兄(堺)、黒崎郁子姉(香里)、川谷威郎師(千里聖愛)、田中逸衛師(住吉)、吉田暢師(紀の川・打田)、南嶋一郎師・赤刎正清師(西宮名塩)、畑之一師(バプ神愛)、清地サカヱ師(自由メソ)、森彬師(西宮一麦)、山本昇師(前鶴見橋)、田中寛也師(鶴見橋)、金武士師・許唱業兄(大韓西成)、脇田眞一師(前四条畷)、佐野昌弘師(教団)、林勝義兄(桃谷ナザレン)、小林勝兄(河内長野)、古川静子師・森哲師・西村彧松兄(香櫨園)、深谷与那人師(京都復興)。
終わりに全国アシュラム、各地アシュラム、榎本アシュラム(アシュラムセンター)の働きがこれからもますます豊かな実を結ぶことができますように、主の祝福をお祈り申し上げ、関西地区のご報告に代えさせて頂きます。
アシュラムの祈り
関西アシュラム支部前書記 小林 勝
はじめてアシュラムに参加したのは、尊敬する小倉嗣夫牧師が1982年に日本基督教団河内長野教会から、信徒の半数を引き連れ、新教会を創られるために去られた頃でした。当時、教団出版局の信徒の友セミナーが開かれ、参加していましたが、その年の講師であられた東岡山治先生に、教会員と清教学園職員の立場での悩みを相談しました。先生は若いころの悩みを語られ、アシュラムで癒された思い出を話され、関西アシュラムをご紹介くださいました。その後、毎年アシュラムに参加祈っていただく中で、教会と学園がその痛みを最小限に留めて、発展を告げ、信仰継承が成されるのを目のあたりにして、アシュラムでの祈りの力を実感させられました。教会内にもアシュラム参加者が現れ、私の長男も榎本アシュラムに参加して、祈りの中で伴侶が与えられ、今は二人で教会長老と執事のご用に与っています。
1998年3月に聖教学園を退職後、しばらくして関西支部書記という大切な働きを賜り、2005年12月に妻が病に倒れても、介護をしつつ皆さんの協力で、小島十二先生のご指導のもとに勤めを果たしてまいりました。
アシュラムには他教派、他教団の牧師や信徒の交わりがあります。辻中昭一先生のご推薦で教団開放センターの活動委員になり、金元治・金武士両先生は日韓宣教協力会の交わりに入れてくださり、委員として古河治・静子先生との若いころの交わりの復活や南嶋一郎先生の後ろ盾、後宮俊夫先生の深い祈りに支えられつつ、2009年年末の入院手術まで書記の働きをさせていただけました。何よりも大きなお恵みは、今年4月7日に召天された小倉牧師のご葬儀に河内長野教会の信徒代表5名が参列され、主にある和解が成された事でした。アシュラムの皆さんが30年余り祈り続けてくださった和解が実現したのを知り、主の愛の力強さを知らされました。
イエスは主なり。これからもアシュラムの祈りの輪の中で生き続けたいと願っております。
主にあって生かされる
香櫨園教会牧師 森 哲
私とアシュラムとの関係は、私が香櫨園教会に来てからですので、まだまだ短いです。今回は、アシュラムに招かれるまでのことを書き記して証しとさせていただきます。
アシュラム運動については、何度か聞いたことはあり、また多少の興味もありましたが、どこで行われているのか、どんなことをしているのかも知らないままで時は過ぎておりました。香櫨園教会に招かれてからのことですが、聖書研究・祈祷会で西村彧松兄に何気に「アシュラム」の話をしたところ、まもなく関西アシュラムが行われること。香櫨園教会の古河治名誉牧師が、長年にわたり関西アシュラムと深い結びつきをもっておられることを聞きました。そこでの出会いと招きがなければ、私はアシュラムと結びつくことはなかったことでしょう。
さらにこの話には、前史ともいうべき神様の導きがありました。私が香櫨園教会に招かれる前の年、私は浪人をしており、教会牧師ではありませんでした。金銭的には大変でしたが、浪人にしかできない生活をさせていただきました。3つの願いがあって、信徒としての教会生活、学びの生活、奉仕の生活を望んでおりました。学びの生活は、母校の大学に潜り込んで30年ぶりに学びの時が与えられ、奉仕はある高齢者施設で朗読のボランティアをさせていただくことで願いがかないました。信徒としての教会生活は、30年にわたり説教を語る者から御言葉を受ける者へと、砂漠に水を求めるような究極の願いでした。
私は日本基督教団に属していますので、探せば教団の教会はいくつもあったのですが、顔が知られているという大きな問題がありました。そこで他教派の教会、しかも近所の教会という条件で探すことにいたしました。すると借家の近所に徒歩数分で2つの教会が見つかりました。その2つの教会で半年ずつ1年間礼拝を守ってきました。毎週の礼拝説教を砂地が水を吸い込むように受け入れて過ごすことができました。それは本当に大きな恵みだったのです。
日本基督教団は日本における最大教派です。そこに在籍していると、気付かぬままに他教派の教会との間に壁を作り、教団だけで足れりとする気持ちが私の中にあったことをその2つの教会で礼拝を守らせていただきながら気付かされていきました。このことも神様からの大きな恵みであったのです。教派という枠を越えて働いておられる神様を知ることができるようになったのです。
この経験こそが私がアシュラムに関わる時に、教派という違いを越えて一致できるという場に私を立たせてくれたのだと思います。『イェスは主である』シンプルでありながら何と深い真理でしょうか。1年を他教派の教会で過ごした私には、何の抵抗もなく極めて自然に受け入れられる言葉でした。
古河治先生、小島十二先生のご指導もあって、徐々にアシュラムの活動に参加できたことも本当に神様からのお恵みだったと深く感謝しています。アシュラム運動も世代交代とさらに次の世代に引き継ぐという時期にさしかかってきています。これまでに受けた恵みを様々な場面で証ししていきながら、アシュラム運動が再び大きな流れになるように願っています。
神様のお導きとお恵みに感謝いたします。
暖簾に腕押し
日本キリスト教団 香櫨園教会員 西村 彧松
皆さん、昔から続いている老舗のお店に行くと、表にその店の屋号を書いた暖簾が下がっていますよね。この暖簾にぶら下がったり、もたれたりすると、こけてしまいます。しかし、イエス・キリストという暖簾は、不思議なことにぶら下がってもこけることはないし、もたれても倒れることはありません。アシュラムはこのことを教えてくれ、またしっかりとした信仰を持てるように、人を鍛え上げてくれるところです。
これが毎年9月に行われる「関西シュラム」に参加を呼び掛ける時に、私が良く使うことばです。
しかし最初の頃は、アシュラムのことがよく分からず、「一体何をしに来たんやろ」と首を傾げながら、戸惑いながら帰って行きました。だから参加しない時も何回かありました。訪問伝道(今のこころの友伝道)の方は、「何をしに来たのか」がはっきりと分かりました。講師の先生方がおられて、話をしてくださいますから、「何をしたらいいか」は直ぐにわかります。
ところがアシュラムでは、助言者という方はおられますが、この方は指導者ではない。本当の指導者は、イエス・キリストだというのです。確かにそうでしょう、だけど!
イエスは目に見えないし、分からないことがあっても「どないして聴く?」。
アシュラムでは『御言葉への静聴』が中心になっています。分からないことがあれば、知りたいことがあれば、御言葉を通してイエス・キリストに聴けば良いのです。
このことが少しずつ分かってくると、アシュラムが段々楽しくなっていきました。連鎖祈祷でも、最初は一時間も祈れませんでしたが、やがて真夜中の一時、ミッドナイトに祈るようになりました。そして私が人生最大の問題に直面した時は、何時間も必死になって祈っていました。そして何か問題があれば、事ごとにイエス様に祈ればよい。言わばモーセがしたように、神様と顔と顔を突き合わせて話をしたらいいのだと学びました。
また「祈りの細胞」でも、自分の深刻な悩みを打ち明けて聞いて貰えるし、祈ってもらえる、逆に他の方々の悩みをお聞きし共に祈ることが出来る。お互いの悩みを共有することも学びました。素晴らしいことだと思います。
私は洗礼を受けてから33年経ちますが、ここまで来られたのはアシュラムのおかげだと思っています。アシュラムが私を鍛え上げてくれたのだと思っています。
私の教会では、1981年から毎年1月か2月に「一日アシュラム」を行っています。
ある求道者の方がこれに出席して、感銘を受けて受洗を決意された、とも聞きました。大変嬉しいことです。
香櫨園教会は、初代の古河治牧師から今は3代目の森哲牧師に変わりました。この間、一日アシュラムを続けていけるか、ハラハラ心配しましたが、それも通り抜けることが出来たようです。
これからは、このアシュラムの根が広く太くなっていき、イエス様の「御愛」を伝道していける教会になって欲しいと、祈っています。
アシュラムに参加して
扇町教会 一木 寛子
私は関西アシュラムに導かれ、かなり長い年月になります。「イエスは主なり」の標語を全員で唱和して、開心、静聴、充満、献身、奉仕の5大原則を、心に刻み始められます。聖別された1泊2日の日程です。今は御影の母の家べテルが定着しています。
毎年夏が過ぎ、秋を感じる時、9月か10月に開催されております。その前に委員会からプログラムが届きます。主題が示され、助言者の紹介があり、いろいろ思いを巡らせ、先生方、兄弟姉妹方との出会い、再会、再々会を楽しみに待ち望みます。祈りの細胞では、共に悩みや苦しみ、願い事を祈り合い、神共にいます事を実感します。連鎖祈祷は自分自身にとって意味のある一時間です。心を無にして静まり、聖書を読み、真剣に祈れます。私は真夜中をいつも選ばせてもらっております。またシスターの皆様が作ってくださる毎回の食事は、とても美味しいです。これも楽しみにしております。み言葉に聴き、祈りを深め、満たされて、またそれぞれの教会、家庭に帰ります。今年は48回目になります。一人でも多くの友が導かれる事を願っている者の一人として加えてもらっています。振り返りますと、長年アシュラムのために、よき導きと尊いお働きをしてくださった諸先生方が目に浮かびます。中路晴雄先生から数えて数名の方が天国に召されました。今も、霊により見守ってくださっていると信じます。
今年1月、私の不注意のため家で椅子に座り損ねて、左上腕骨を骨折しました。今はリハビリ中です。82歳ともなると体力の限界を知るようになりました。今まで出来ていた事が、悔しいですが、出来なくなって来ました。今のところ、礼拝出席とアシュラム、全国、関西、「こころの友伝道」研修会には欠かさず出席出来ております。とても感謝です。明日の事は神のみぞ知る日々ですが、健康を与えてくださいと祈るのも大切な私です。最後に、関西支部長の小島十二先生の健康を、日々お祈りして、また委員会のお一人ひとりを覚え、健康と平安をお祈りいたしまして、いよいよアシュラムの集いが聖霊に満たされますよう祈ります。「わたしの力は主によって強められた」サムエル記上2・1
関西アシュラム年表(敬称略)
回数 | 開催日 | 場所 | 助言者 | 参加者数 |
1 | 1966 | |||
2 | 1967.4.5~7 | 鮫島紘一・明子 | 50名 | |
3 | 1968 | |||
4 | 1969 | |||
5 | 1970 | |||
6 | 1971.11.2~4 | シオン・ロッジ | ジョーンズ | 189名 |
7 | 1972.11.23~ | シオン・ロッジ | 中路・中島 | 95名 |
8 | 1973.10.4~6 | 有馬陵楓閣 | ハンター | 54名 |
9 | 1974.11.4~5 | シオン・ロッジ | 後宮・中島 | 50名 |
10 | 1975.11.23~24 | シオン・ロッジ | 後宮・土山 | 42名 |
11 | 1976.11.22~23 | 淀川善隣館 | 後宮・土山 | 38名 |
12 | 1977.11.22~23 | 淀川善隣館 | 中路嶋雄 | 50名 |
13 | 1978.11.22~25 | 淀川善隣館 | 中島・畑野 | 48名 |
14 | 1979.11.22~23 | 淀川善隣館 | 金元治 | 30名 |
15 | 1981.11.22 | シオン・ロッジ | 後宮・土山 | 44名 |
16 | 1982.9.30~10.1 | シオン・ロッジ | マシューズ | 69名 |
17 | 1983.11.22 | シオン・ロッジ | 関西委員諸師 | 52名 |
18 | 1984.10.9~10 | シオン・ロッジ | 関西委員諸師 | 55名 |
19 | 1985.10.9~10 | シオン・ロッジ | 関西委員諸師 | 66名 |
20 | 1986.10.9 | シオン・ロッジ | 関西委員諸師 | 49名 |
21 | 1987.10.9 | シオン・ロッジ | 関西委員諸師 | 39名 |
22 | 1988.9.14~15 | シオン・ロッジ | 関西委員諸師 | 64名 |
23 | 1989.9.15~17 | 千刈キャンプ場 | 土山牧羔 | 59名 |
24 | 1990.10.10 | 大阪女学院 | 小島十二 | 65名 |
25 | 1991.9.15~16 | 千刈キャンプ場 | 海老沢宣道 | 65名 |
26 | 1992.9.14~15 | 千刈キャンプ場 | 海老沢宣道 | 34名 |
27 | 1993.10.10~11 | 千刈キャンプ場 | 土山牧羔 | 42名 |
28 | 1994.10.9~10 | 千刈キャンプ場 | 杉田常夫 | 34名 |
29 | 1995.9.22~23 | 千刈キャンプ場 | マシューズ | 56名 |
30 | 1996.10.9~10 | 皇子が丘荘 | 金徳成 | 31名 |
31 | 1997.10.9~10 | 皇子が丘荘 | 関西委員諸師 | 31名 |
32 | 1998.9.22 | 皇子が丘荘 | 土山牧羔 | 28名 |
33 | 1999.9.22 | 皇子が丘荘 | 関西委員諸師 | 34名 |
34 | 2000.10.8 | 皇子が丘荘 | 古川治 | 39名 |
35 | 2001.10.7 | 皇子が丘荘 | 後宮俊夫 | |
36 | 2002.10.13 | 皇子が丘荘 | 木部安来 | 35名 |
37 | 2003.10.12 | 皇子が丘荘 | 杉田常夫 | 22名 |
38 | 2004.10.10 | 千刈キャンプ場 | 土山牧羔 | 29名 |
39 | 2005.10.9 | 千刈キャンプ場 | 横山義孝 | |
40 | 2006.9.17 | 六甲セミナー・ハウス | 辻中昭一 | 22名 |
41 | 2007.9.23 | 神戸「母の家」 | 後宮俊夫 | |
42 | 2008.10.12 | 神戸「母の家」 | 後宮俊夫 | 22名 |
43 | 2009.9.21 | 神戸「母の家」 | ||
44 | 2010.10.10 | 神戸「母の家」 | 唐渡弘 | 28名 |
45 | 2011.10.9 | 神戸「母の家」 | 村瀬俊夫 | 29名 |
46 | 2012.10.7 | 神戸「母の家」 | 横山義孝 | 30名 |
47 | 2013.9.22 | 神戸「母の家」 | 工藤弘雄・須美子 | 29名 |
48 | 2014.10.12 | 神戸「母の家」 | 大門義和 | 28名 |