日本クリスチャン・アシュラム連盟(日本アシュラム)公式サイト

松山アシュラム

松山アシュラム友の会

主の家の教会牧師 寺尾 雅生

 四国とりわけ愛媛県は、教会員の高齢化と人数の減少が著しく、ある地区では立派な会堂と広い駐車場がありながら、礼拝出席者は牧師家族と高齢の教会員が数人で、やがてその牧師も去って無牧になったとか、教会そのものが消滅したというような話もしばしば耳にします。牧師と信徒がいて伝道牧会がなされるという、普通の教会の姿を維持することさえ、ここでは段々に難しくなっています。松山アシュラムは愛媛の中心都市、松山で行われますが、その関心は上記の地区をはじめ、人口過疎化地域の教会とクリスチャンに向けられています。これらの地域の問題がもはや特別の問題ではなく、自分たちの身近な問題になりつつあるからです。

たとえ教会から牧師がいなくなったとしても、また教会員が数えるほどに、あるいはたった一人になったとしても、その一人のクリスチャンが自分で立っていけるように、また祈ってくれる仲間が教会にはいなくても、祈ってくれるアシュラムの友がいるように、これらのことがアシュラムを通してできるように願っています。また信徒が日常生活の中で問題にぶつかったとき、その問題の解決を祈るだけでなく、その原因が何であるのかを自分で主に問い、それに対して的確な対応ができるようになること、また生きて行く上で、何が主の御心に適うことかを、人にではなく自分で主に問うことができるようになること等、おこがましい言い方かも知れませんが、主と対話できる関係を築く手がかりを、このアシュラムで得てほしいと願っています。

このため松山アシュラムでは「開心の時」と「ファミリーの時」を、特に大切にしています。ここで参加者にアシュラムに来た目的、抱えている問題等を話してもらいます。それが個人的な問題であっても、教会の問題であっても、決して批判されたり拒絶されることはありません。目的や問題意識を持たないで参加された人にも、そのことをありのままに話してもらいます。人の心は深く、自分が深刻な問題を持っていることさえ、気付かないでいる事が少なくないからです。アシュラムの場で人に話し、また人の話を聞く中で、そして主に祈り、主の御言に聴く中で、人は自分の本当の思いや問題に気付くことがあります。それが主の前に持ち出されたとき、その問題が主によって取り扱われるということがしばしば起こります。

またその中で主はその人に個人的に語られ、今までとは違うユニークな役割を託されることもあります。例えば今まで未信者を教会に連れてくることが自分の役割と考えていた人に、自分が人々の中に入っていって「地の塩」として働くように示されるというようなことです。そのような語りかけを聴くことができ、それに喜んで献身し、その役割をしっかりと果たすことが出来るなら、イエス様が約束された通り、その人は枡の下から引き出され、燭台の上に置かれ、世の光として人々を照らし、人々が天の父をあがめるようになるために用いられるでしょう。

次に主がご自身の御旨を示めされるのは普通、聖書の御言を通してですから、主の御旨をしっかり受け取るために、聖書全体を読んでその内容を知っていることが、私たちに求められています。このために私たちはアシュラム終了後も毎朝の祈りの時間に、聖書を一日一章ずつ、創世記から黙示録までを余すところなく読み通すことを、互いに励まし合ってしています。主はその日の聖書日課から教え示してくださることもありますし、既に読んだ箇所から教え導いてくださることもあります。

このように日々の生活の中で、本音で主に祈り、主が御言を通してして語られることをしっかり受け取ることができる人になること、そのために少しでもお役に立つこと、これこそが松山アシュラム開催の願いであり、目的としていることです。