神の然り

スタンレー・ジョーンズ著
海老沢 宜道訳
推薦の言葉:島 隆三師


 この書は、30冊に及ぶ著者の最後の1冊である。著者は、1971年、最後の10度目の来日の後、本国に帰国後の同年12月、脳卒中で倒れ、危険な状態であったが、奇跡的に回復し、車椅子で聖地エルサレムでの第1回世界アシュラム大会に出席後、インドのサト・タルに赴き、1973年1月に、彼が愛してやまないインドから帰天された。彼が病に倒れた時、娘のユニスに「娘よ、私は今死ぬことはできない。もう1冊の本を書き上げるまでは。『神の然り』という本だ」と告げて、この本への並々ならぬ熱意をユニスに伝えた。実際、それから召天までの約1年、体力の衰えと、視力、聴力、言語などが害われる中、周囲の方々の助けも得て、ついに原稿を完成した。しかし、それを適切に編集する体力、気力は残っていなかった。彼の召天後、その原稿を編集し、ついに読者の理解が得られる形にまで整えたのは、ユニスと彼女の伴侶のマシューズである。その意味では、スタンレーの筆になることは間違いないが、娘夫婦との共著ないしは合作と言うこともできよう。
 スタンレーの死を前にした長い伝道人生の最後の総まとめとも言える本書は、著者の広い知識と深い思考力が生み出した渾身の一書で、一読して容易に理解できるとは言い難い深みを持つ。初めに、脳卒中で倒れてからの自らの困難な状況にも触れながら、「神はノーという方ではなく、イエス(然り)を私たちに備えてくださる」ことを身をもって示し、「イエス・キリストこそ神の然りである」と結論するが、それはまたスタンレーの人生が神の然りを証しているとも言い得る。
 初めに「神の然り」という著者の最も明確に言いたいことの輪郭を述べて、次に各論ともいうべき「確答を求められている諸問題」を論じていく。それは、1. 神は存在するか、2、神は御自身を啓示されるか、3、啓示の集団的次元はあるか、4、正しい生き方はあるのか、5、人間の最も深い飢え渇きは満たされるのか、6、自分自身を肯定する道はあるのか、7、再びやり直す道はあるのか、8、神の臨在は継続しているのか、9、聖霊の賜物はあるのか、10、キリスト教は試練に耐えられるのか、11、神の然りは誰にでも話しかけられているのか、12、苦難の問題に解答はあるのか、以上、人類の歴史で繰り返し問われてきた12の設問に対して、著者の特色ある論理構成で回答を示していく。この12の設問は、どこから読んでもよく、関心の深いところをピックアップして読んでみるのもおもしろい。
 最後に、主イエスの十字架の苦難を取り上げ、苦難を活用することと、彼が脳卒中で倒れてから召天までの1年余りの日記を、「苦難における勝利の日記」として、自らの証として記し、祈りをもって本書が閉じられる。
 巻末に、編集者のJ.K.マシューズと訳者の海老沢宣道のことばがあり、本書を理解するうえで有益である。
 「あなたがたに宣べ伝えた神の子キリスト・イエスは、『しかり』となると同時に『否』となったのではない。そうではなく、『然り』がイエスにおいて実現されたのである。」(コリント第2 1:19、口語)

「御国を来らせ給え」

ダヤ・プラカシュ・タイタス 著
植村俊雄訳
推薦の言葉:海老沢 宜道師


「時は満ちた。神の国は近づいた。悔い改めて福音を信ぜよ」(マルコ福音書1章15節)
 主イエスは洗礼者ヨハネが当局に捕えられた。その後、直ちにガリラヤにおいて宣教を開始された時、最初に発せられたメッセージは、この御言でありました。
 キリスト教は個人の魂を救うことを使命としていますが、同時に世界を救うために唯一不可欠な解答を私たちにもたらしています。それこそ主イエスの説教の中に大きな比重を占めている「神の国」であります。従ってキリスト教を個人主義とか社会主義の立場でのみ理解するのは正しいと言えません。スタンレー・ジョーンズ博士の説くように「神の全体主義的理解」を会得して頂きたいものです。
 この願いに答えて、真に適切な指導書を著してくれたのが、インドのサトタル・アシュラムのアチャラ(常任指導者)を務めている、ダヤ・プラカシュ・タイタス牧師です。私たちが彼を初めて面識したのは、1978年秋、第3回国際クリスチャン・アシュラムがわが国(御殿場の東山荘)で開かれた時でした。欧米の有力なリーダーたちと共に、御言の証しに立たれた彼の謙遜で柔和で、しかも霊的な深みから溢れ出る信仰の光に、私共一同、心を打たれました。
 彼は若い頃、インド政府の公務員で、ヒンズー教を信じていましたが、1938年に主イエスの招きを受けて改宗し、神学校に学び、大教会の牧師を務める間に、スタンレーの導きによってアシュラムのために再献身をし、インド全国の霊的覚醒に奉仕すると共に、ヒマラヤ山中にスタンレーの造営するサトタルの住人となって今日に至っているのです。
 1980年秋、第4回国際アシュラムが、そのサトタルで開かれ、同時にスタンレーがアシュラムを開始されてから丁度満50年になる祝賀感謝の聖会として守られた時、私たちは日本から7名の同志と共に参加して、タイタス牧師との再会を喜びましたが、彼はこの記念事業の一つとして、本書を英文で出版されたのです。
 この年は同時にスタンレーがわが日本にクリスチャン・アシュラムを開始された1955年から満25年に当るので、その記念として連盟参加の全国的アシュラムを東山荘で守り、タイタス牧師一人をゲスト・スピーカーとして招待、3度目の交りを与えられました。また1982年7月に第5回国際アシュラムが、フィンランドのヤルベンパで開かれ、日本から20名が出席した時も、各国の指導者の中にタイタス師を迎えることができて、親交を更に深められ、私共は彼のことを姓字でなく、個人名の頭文字で、「D.P.兄弟」と呼び合うようになりました。イエスを主とする兄弟の交わりに入ることができた幸いを感謝せずにはおられません。
 彼自身の序文にもあるように、実に簡潔に要領よく「神の国」の全容をまとめ上げており、ぜひ共広くキリスト信徒の方々に熟読、玩味して頂きたい一書であります。
 翻訳については私自身が身辺多忙のため延引していたところ、関東地区委員の植村俊雄兄が当って下さったので、その労を感謝しつつ原稿を拝見して、可成りの訂正や補正を願い、漸やく印刷に廻すことができました。
 尚、本書の翻訳許可は私がD.P.兄弟から受けております。
1983年10月1日 世界聖餐日

神の漁り人

E.スタンレー・ジョンズ著
飯島 延浩・飯島 庸江共訳
推薦の言葉:島 隆三師


 連盟から出版された小冊子である。40ページに満たない小冊子ながら、アシュラム運動の基本を知ることができる好著である。
 クリスチャン・アシュラムは1930年、インドのサト・タルにおいて、インド人牧師ユナス・シナーと引退したイギリス人女性宣教師エセル・ターナーとスタンレー・ジョーンズの3人で始められた。その小さな霊の流れが、今日まで世界各地で霊的潮流となって教会を活性化してきたのである。アシュラムは元来、ヒンズー教で行われていたもので、グルと呼ばれる教師を中心に共同生活をして瞑想し修行をする。これがキリスト教会にも必要であると見たスタンレーは、クリスチャン・アシュラムと称して、グルはただ一人キリストであり、この言葉が肉体となられた方に私たちは全面降伏し、自らを明け渡していくのが、クリスチャン・アシュラムの中心だと語った。
 アシュラムでは、あらゆる人間的な壁をなくし、キリストにある兄弟姉妹となり、率直に語り合う。特に、自らのニード(必要)を隠さずに表明する。そのニードを抱きながら、御言葉への静聴を行う。これはスタンレー自身が、若い日にインドのラクナウで宣教を開始して、霊的行き詰まりを覚えて挫折するかに見えた時に、彼を再生させる大きな体験を与えられた。ラクナウの教会の壁には、そのことを記念する文字が刻まれている。
 「ここでスタンレー・ジョーンズ博士、 
  世界的な巡回伝道者は、  彼の身体的に打ち砕かれた人生を、
  キリストの前に全面降伏し、 全き人として立ち上がった。」
 アシュラムを通して、スタンレーのように霊的再生を与えられた人々は大勢いる。初期アシュラムに参加した数名の証が巻末に短くまとめられている。   (スタンレーの翻訳は、飯島庸江・飯島延浩により、また、ビデオ『神の漁り人』がある。)

アシュラムの恵み

山根 可弌著
推薦の言葉:島 隆三師


 日本のアシュラム運動において、忘れてならに先達の一人は山根可弌師である。先生の伝道者として、教会建設者としての歩みは伝記その他に見ることができるが、この小著には、外面的なことでなく、先生の最も内面の、言葉にできない部分をあえて書けばという、魂の証の書である。それが先生においては、アシュラム運動と深く関わることであったのがよくわかる。
 先生も記しておられるが、キリスト教信仰は体験してみなければわからない。しかし、そんなことを言われても、どうしたら体験できるのか、聖書を読んでもよくわからないという方もある。もちろん教会を訪ねることが一番だが、それでも十分わからないという場合もある。先生ご自身にも多くの葛藤があったことが窺われるが、その信仰の歩みにおいて、先生はアシュラム運動に出会った。それは先生において、真に幸いなことであった。
 先生が兄弟姉妹と共に、祈り、心血を注いで建てあげた池の上キリスト教会は、以前は新宿にあったが、今は三鷹の閑静な住宅街の一角にあり、初めて訪れた方はここにこんな教会があると驚かれるだろう。でも教会は建物でなく、中身が大事だ。礼拝その他に出席されたら、もっと深い感動を覚えるだろう。世の中のすべてのことは一朝一夕にならず、教会もここに至るまで多くの方々の祈りと労苦、見えない無限の神の恵みによることは言うまでもないが、その初めに山根先生の祈りと労苦があり、その先生を支えた一つは、間違いなくアシュラム運動であったことを私たちも覚えたいと思う。今は、この小著を手にすることは難しいと思うが、その先生の祈りの結晶として、池の上キリスト教会があり、そこにはアシュラム運動が息づいていると申し上げたい。

震われない御国と変わらない人格

スタンレー・ジョーンズ著
淵江淳一・淵江千代子 共訳 
推薦の言葉:海老沢 宜道師


 20世紀の終わりが迫っている時、この人類が最も大きな罪悪を犯し、悩み苦しんだ世紀にも、神は最も有力な福音の使者を起こして全世界の滅亡をくいとめさせられたことを今一度公表し、周知徹底させる必要がある。その神の使者とは、全く自我に死に、キリストに在って生き、主の御目的なる「神の国の福音」のために89年の生涯を燃え尽くされたスタンレー・ジョーンズ博士であった。
 主イエスは、「神の国は近づいた」と宣言して伝道を開始され、そのみわざは全て神の国に基づいて行われ、説教の核心と例話の中心的テーマもそれによっていた。そして我われが神の国を中心に生活を立て直す時にのみ、最も充実した人生を経験することができることを奨励された。
 然しスタンレー・ジョーンズ博士は、「教会が数世紀にわたってしばしば主イエスをこの使信から切り離したために、福音の感化(インパクト)を弱いものにしてしまった。その結果、日常生活は混乱し、狂信的になり、秩序ある有効なシステムとしての神の国の生活ができなくなっている。現代のキリスト教は、主イエスの説かれた人間の全体的必要に対する神の全体的解答である神の国を、それとは全く異なる現在の一時的避難所とか安易な慰めとか、淡い終末の希望などのような、狭い型にはめて縮小させてしまった」と述べている。
 また博士は、キリストが神の国に就いて宣べようとされたことを注意深く研究し、「イエスこそ神の国の具体的化身であり、神の国は実際にキリストである」との結論に達したので、「今は我らがこの真理を発見し、それによって行動を開始すべき時である」と言う。
 博士はまた、彼独特のスタイルで、神の国の概念と原理とを説明し、それをいかに教えて個人生活、教会生活、国民生活に於て体験し、分かち合うべきかの方法を提案し、暗示を与えてくれた。人生と日常生活を立て直すための原理を求める人に、博士は本書を通して解答を提供しておられるのである。
 博士は多くの著作を残した。私が訳出した『神の然り』(1981年)は、実は博士が日本全国縦断伝道の10回目を終えて帰米された直後に発病し、その療養中の口述を娘婿マシューズ博士夫妻その他の協力で編集していたが、ようやく、召天された二年後(1975年)に出版されたものであった。
 ところが本書はその前に、彼の世界伝道最後の地、日本の各地で講演された内容『神の国とキリスト』を詳細に解説されたもので、まだ病気療養中の1972年に米国アビンドン社から出版された人類への遺言書とも言うべきものである。博士の著書は28冊あるが、20ケ国語に訳出され、購読部数は300万部を超えており、そのうち10冊は各10万部以上、『豊かな生活』は100万部に達したとのことで、本書もすでに版を重ね、今日も米国内でベストセラーに入っている。英文版はA5版で総300頁の大冊を、淵江淳一、千代子夫妻に翻訳の労をとって頂いた。日本クリスチャン・アシュラム連盟として米国の出版社から翻訳許可を取ったが、出版期日、部数などの制限があり、御夫妻には連日連夜の御奮闘を願った。先に博士の処女出版『インド途上のキリスト』を訳された経験をお持ちだが、博士の英語は米国人や家族でもむづかしい表現があり、非常に御苦労をしたことと同情する。しかしとに角、スタンレー・ジョーンズ博士が晩年に信仰の大集成として会得されたキリスト教真髄の二大原理をここにまとめて、わが日本の精神界一般に提供できることは同慶の至りである。
1998年2月四旬節(レント)を迎えて