日本クリスチャン・アシュラム連盟(日本アシュラム)公式サイト

函館栄光キリスト教会ミニ・アシュラム

函館栄光キリスト教会ミニ・アシュラム

函館栄光キリスト教会牧師  佐々木 雄次

1. 道南地区アシュラム

 当地で最初に開かれたクリスチャン・アシュラムは、1971年(昭和46年)10月7、8日、スタンレー・ジョーンズ師を迎えて開かれた、第1回道南地区アシュラムだと思います。会場は湯川温泉のはなびしホテルでした。道南地区アシュラムは、1979年の第8回まで続けられましたが、第2回以降の助言者は、第2回高瀬恒徳、第3回中路嶋雄、第4回G.ハンター、第5回谷本清、第6回岡田実、第7回山根可一、第8回海老沢宣道の諸師で、おおむね日本クリスチャン・アシュラム連盟の理事たちでした。会場はだいたい函館千歳教会(及び函館ちとせ幼稚園)で、二日日程のプログラムでした。準備、運営は、白川鄭二師(当時日本基督教団函館千歳教会牧師)が中心になって、準備委員会によってなされましたが、白川師は、長年にわたり、地域教会の協力伝道のために奉仕されていましたので、教派を超えて、多くの教会(日本基督教団、フォースクエア、救世軍、兄弟団、バプテストなど)から40名前後の教職及び信徒が出席いたしました。

2.  函館栄光キリスト教会ミニ・アシュラム

  函館栄光キリスト教会は、1994年に単立教会として設立され、白川鄭二師が2007年まで牧師でした。集う者たちは、「本当にみ言葉を学んで、み言葉の中に霊の生命を見出し、神様からのみ言葉を食べる、そしてそれを分かち合い、互いに他を覚えて祈りあう」(説教「教会に与えられる幻」)ことを目指し、教会の交わりに、アシュラムの方式を取り入れました。今日でも続いていますが、たとえば、礼拝後に「恵みの分かち合い」(小グループによる、御言葉の分かち合い)がなされ、祈祷会では、「祈りの細胞」のように隣の人のニードを覚えて祈るのです。教会ミニ・アシュラムは、1997年から2002年まで、不定期でしたが、普段、千葉に住んでいた牧師夫妻が来函した時、主日や休日を用いて、一日の日程で、14回開催されました。聖書の説き明かし、恵みの分かち合い、祈りの細胞が、主要なプログラムで、いつも10名前後の出席者でしたが、牧師夫妻を囲み、くつろいだ、家庭的な集いでした。

3. 再開された函館栄光キリスト教会ミニ・アシュラム

  白川牧師の死去などもあり、教会ミニ・アシュラムは、しばらく中断されていましたが、再開されるよう祈りが重ねられました。それは、教会が御言葉によって養われ、豊かな霊的交わりが形成されていくためにアシュラムはとてもよいプログラムである、という認識が教会員の中にあったからです。また、以前開かれていた「道南地区アシュラム」に出席していた他教会の兄弟姉妹からも、「栄光教会でアシュラムが開かれれば出席したい」、との声がありました。教会の垣根を越えた、アシュラムの交わりは、単立教会で、他教会との交流が少ないわたしどもにとって、福音の豊かさを味わうよい機会になりますので、ぜひ他教会の兄弟姉妹も共に集うアシュラムが実現するように祈っておりました。幸いなことに、2009年の教会総会で「教会ミニ・アシュラムを再開する件」が満場一致で可決されましたので、その年の5月に、函館で開かれた朝祷会全国大会の会場でアシュラム連盟理事の木部安来師に、当地におけるアシュラムの再開についてご相談したところ、同師はとても喜ばれて、協力を約束してくださり、その後、事務局の石井兄を経由して横山義孝理事長とも連絡が取れました。そして、同年10月に、横山理事長を助言者にお迎えして、第1回の再開ミニ・アシュラムが開催されたのです。以降、2013年の第5回まで、毎年、連盟から助言者を派遣していただき、いつも祝福されたアシュラムとなっています。

 わたしどものアシュラムの特徴は、他教会の方がたくさんおいでくださり、よい交わりがなされていることだと思います。日曜日と翌日の休日(体育の日)を利用した日程であるため、他教会の方は、一日しか出席できないのですが、2013年の出席者40名のうち、15名は他教会の方でした。この方たちはいずれも函館朝祷会に出席されています。つまり、この地域の朝祷会が、アシュラムを支えてくださっている側面があるのです。このことも感謝したいと思います。

おとぎの国とこびとたち 

函館栄光キリスト教会 片山英昭

「年老いた信仰試問官が(彼自身は、深い認罪の期間を経過せずには純粋な回心というものはありえないと信じていた。)少女に質問した。「でもね、お嬢さん、『落胆の泥沼』を通ったかね」。少女は丁寧におじぎをして答えた。「いいえ、私はその道には行きませんでした」。〖信仰に生き抜いた人:ジョージ・ミュラー;その生涯と事業 AT・ピアソン〗

私は神を愛していないと思っても、神様は私を愛しておられます。18年前、奥多摩でのアシュラムに私は強いニードを持って参加いたしました。それは「主の十字架わがためなり」がわかるようにという求めです。信仰の根源と信じておりましたので切実でした。

受洗して30年、教会の役員でもあるのに罪に対しての痛みがなく、まことの悔い改めもない。だから十字架がさとれない。この求めのため長い間、断食したり、滝行のつもりで冬に冷水シャワーを浴びながら祈ったりしていました。「主の十字架わがためなり」はいつの間にか律法の重荷になっており、すがる思いで参加したアシュラムです。

しかし、全国のそうそうたる教職、役員の方々の前で、このニードを開心の時に告白する事はとても恥ずかしく、私の教会の白川牧師にも恥をかかせる、と開心の順番が迫るにつれコチコチになり本気で逃げ出したい衝動にかられました。オドオドと蚊の鳴くような声でニードを告白した時は本当に惨めな思いでした。しかし、アシュラムが進むにつれ、とらわれていた思いは消えてゆき、分厚い御臨在をお伽の国のように感じておりました。ニードの答えが与えられぬまま最終の早朝の集いとなります。寝過ごしてヨタヨタと遅れてたどりついた会場ではすでに「主は我が牧者」が賛美されておりました。終わったな・・・とあきらめの思いで、沈んで寝ぼけたかすれ声をしぼりだすように歌いはじめたその時、私の奥の奥底から、忽然と、凛とした歌声が歓喜とともに湧いてきました。イエス様です。声に引きずられ私も叫ぶように歌っておりました。主われと共にあり、に気づかされた瞬間です。アシュラムは私のような赦されぬ果てなき不信仰者にも風穴をあけ、このような具体的な事がなくとも、集いの中で御臨在が示され、解放を与えてくれます。そこはおとぎの国であり、集うものは皆無邪気で明るいこびとたちとなります。現実を見よ、といわれますか。この御臨在の世界こそが真の現実です。その中心にはイエス様がおられるのです。私が神を愛したのではなく、神様が私を愛してくださり、私の罪のいけにえとして御子をくださり(Ⅰヨハ)、この御子に私を固く結びつけ、油を注いでくださいました(Ⅱコリ)。

恐れるな、わたしはあなたを贖う。あなたはわたしのもの。わたしはあなたの名を呼ぶ。わたしの目にあなたは価高く尊くわたしはあなたを愛している。恐れるな、わたしはあなたとともにいる(イザヤ43)。

どんな困窮、気落ちの時でも必ず光と喜びを与えてくれる魔法のことばは永遠です。