バルナバ・アシュラム
日本ホーリネス教団 伊藤 得子
故石神勇兄の念願だったイスラエル旅行が実現したのは80歳の時でした。翌年、イスラエル旅行で大変お世話になったA師からお誘いを受け、初めて「関東アシュラム」の集会に参加し、そこで多くの恵みとお導きをいただき、1988年、82歳で「バルナバ・アシュラム」を立ち上げました。
「奥多摩福音の家」で助言者に海老沢宣道師、淵江淳一師、向山自助師、横山義孝師、有馬歳弘師をお迎えして、第一回「バルナバ・アシュラム」がスタートしました。
1~2回は「奥多摩福音の家」で、3~11回までは毎年5月の連休に2泊3日で、日野の「ラサール研修所」で開かれました。特に一人静かに神と対峙することをモットーに、個室での宿泊を願っておりました。また、「アシュラムの群れ」を発刊し、毎月200部を全国に散在する教職の先生、兄弟姉妹に発送し、親交を深め、「バルナバ・アシュラム」の集会での再会を喜びとしておりました。毎年2泊3日の集会が終わった日に、翌年の集会のための会場を予約し、翌日から次回の集会に向けて、一年をかけて一人で準備しました。
ご存知の方はお分かりでしょうが、80歳を過ぎ、目が見ずらく、耳も聞こえずらく、背中の軟骨がいくつもすり減って、痛みがひどく、身体的に弱さを多く抱えながら、信州岡谷から一人で上京し、助言者の先生を訪問し、お願いしたり、アシュラム委員会出席、諸集会参加等、精力的に活動できたのは、「バルナバ・アシュラム」への使命感、背後の祈り、神様の護り無くしてあり得ないことでした。
1988年、82歳で「バルナバ・アシュラム」を立ち上げ、アシュラムの主旨である聖霊のバプテスマによって、真の弟子となること、み言葉を生きる弟子となることを追求し、92歳までの11年間、アシュラム委員をさせていただきながら、「バルナバ・アシュラム」に身骨を注ぎました。
1998年5月、第11回目の「バルナバ・アシュラム」の集会を終えた7月に体調を崩し、2か月の入院を余儀なくされましたが、健康を取り戻すことができ感謝でした。
高齢での独り暮らしに親族が心配し、住み慣れた信州岡谷から、長女、次女の住む名古屋に居を移し、新たな生活がスタートしました。それに伴い「バルナバ・アシュラム」の働きは11回をもって閉じることとなりました。その後、名古屋の教会と関わりを持ち、クリスチャン生涯を全うし、99歳と50日で天に帰りました。
石神兄の娘婿は「バルナバ・アシュラム」で救われ、さらに献身へと導かれ、現在は日本ホーリネス教団の牧師として、また、関東アシュラム委員としてご奉仕させていただいています。この牧師としての奉仕の中で、神様の導き、皆さんの祈りとアドバイスに支えられ、37名を洗礼へと教え導く恵みにも与りました。石神兄は「バルナバ・アシュラム」の結実の一つとして大変喜んでおりました。感謝!「イエスは主なり」
回 数 年 助 言 者 主 題 人 数
1 1988 海老沢宣道 イエスは主である 40
淵江淳一師 向山自助 横山義孝師
2 1989 横山義孝師 イエスは主である 50
3 1990 森本春子師 主よ、見ることです 63
4 1991 森本春子師 臨在のキリスト 73
5 1992 手束正昭師 求めよ、捜せ、門をたたけ 57
6 1993 小池辰雄師 十字架・聖霊 56
7 1994 羽鳥明師 復活信仰 40
8 1995 小島十二師 霊交の回復 32
9 1996 新井宏二師 開かれた扉 80
10 1997 有賀喜一師 リバイバルへの道 38
11 1999 原田 謙師
著書〉 2000年 「永遠の生命を求めて」 キリスト新聞社刊
2001年 「神を視る神交」 キリスト新聞社